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- 2004年の初めから撮り始めた、ウルグアイ東方共和国大学病院のフォドキュメンタリー。
- 「ロデルー家族」「ロデルー刑務所」と撮り進め、3番目の作品のアイディアを練っていた当初、
- 僕は、引き続きモンテヴィデオに見られる都会の社会的腐敗を、例えば、公共医療**、大学
- 教育、もしくは、海外に渡ったウルグアイ人移民の話などを通して 語ることを考えていた。
- (**ウルグアイには、国の負担で全てが賄われ患者が治療を払う必要のない公共医療と、治療費
- が個人負担になる私立医療とが存在する。そして、医療費を負担できるほど経済的に豊かな人は
- 少なく、多くの人々は、公共医療を利用している。)
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- 公共医療に焦点を当てることに決めた後、僕は、ウルグアイ東方共和国大学病院で少しの間、
- 働くことにした。その理由はいくつかある。第一は、探ってみたかったもう一つのテーマである
- 大学教育に関連して、公共医療を語ることが出来ると考えたから、第二に、この病院が
- ウルグアイを代表するモデル病院で、全ての施設が一つのビルの中に収められていると言う点、
- そして第三に、ここが、徐々に悪化していく状況に被害を受けた病院として、ウルグアイ人の
- 記憶に強く残る病院だからだ(たとえこの病院で一度も診察を受けたことがなく、その状況を
- 知りもしない人たちにとっても、この病院の凋落が、はっきりとした共通認識になっていること
- は間違いない。)
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- 衛生管理の甘さ、建物そのものの損傷、医療機器の不足などの問題は、この病院に一度でも入院
- したことのある患者なら、誰でもよく知っていることだ。そして、これらの問題は、2002年に
- ウルグアイを襲った経済危機以降、より一層激しさを増した。
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- この経済危機により、多くの人が医療費を払うことが出来なくなったため、いくつかの私立の
- 病院施設(Mutualistasと言われる)が閉鎖された。そのため、かつてはこれらの施設で私立医療を
- 受けられた人々も公共の病院施設に行かざるを得なくなり、公共医療のシステムは、ほぼ崩壊に
- 近い状態になった。更に、2002年の7月には、資金難のため、この病院の救急施設が閉鎖された。
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- 撮影に当たって、ます僕は、病院や、患者の状況を把握するために、病院の全ての場所を歩き
- 回った。そして、使用されている部分も、もはや打ち捨てられている部分も、その病院の
- ほとんどの場所が、危機的な状況にあるということを理解した。一方で、施設もサービスも
- 十分なクオリティを保っているのは(例えば、国立バーンズセンター等)、ほんのいくつかの
- 部分に過ぎないのもわかった。
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- だからこそ、僕は、この建物を覆っている社会的・都会的な現実の病の症状を示す、病院の
- 大部分の場所のドキュメンタリーを撮ることにした。見ることそのものに痛みを感じるような、
- 目を覆って見たくないと思うような、徐々に徐々に崩壊していく病院を、はっきりと見せる
- こと。緩慢で慢性的な病の末、いまや死に瀕している病院を。そこに診察を受けに来る患者と
- 同様に、いや、それ以上に深く病んでいる病院を。
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- 大学の権威や政治家達が、この大学病院の建物を生き返らせる必要性や、新しい公共医療の
- モデルを創り作り出す必要性について、果てしない討議を繰り返している間にも、この病院は
- 生と死の間をさまよっている。もはや訪れることはないように見える、病からの回復を待ち
- ながら――。
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- 最後に、この大学病院の医師、医療スタッフ、医学生の方々の撮影協力に、深く感謝の意を
- 表したい。